kenblog

役に立つ情報から筆者の感想まで様々なことを書いています!

モーセと一神教(フロイト)を読んだ感想

 皆さんこんにちは!今回は、モーセ一神教という本を読み終わったので、その感想を書いていこうと思います!内容が少し複雑で難しいので、私自身誤解している部分もあるかもしれませんが、温かい目で見ていただけると嬉しいです。

 

モーセとはだれか

 まずモーセ一神教とタイトルにある通り、モーセという人物がこの本で重要な人物となります。では、モーセとはどのような人物なのでしょうか?

モーセとはユダヤ教というキリスト教のもとになった宗教を作り出した人物であるとされています。キリスト教でいうイエス、仏教でいうとブッダのような位置づけの人物です。この本では、モーセという人物についての理解を深めることで、ユダヤ教について、ひいては宗教というものについての考察することができるようになると書かれています。

 

モーセエジプト人であった!?

 モーセユダヤ教の創設者であると書きましたが、そう聞くと私たちは当然、モーセユダヤ人であると考えます。しかし、フロイトモーセエジプト人であると考えます。歴史的事実として、モーセは小さいころに、エジプト人に拾われるということがあります。それを考慮した時に、モーセユダヤ人であるというよりも、エジプト人であると考えるほうが自然であるといえます。

 歴史的な書物の中にモーセについて書いてあるものがあるのですが、しばしばその書物というものは昔の人々によって都合よく書き換えられてしまうということがあります。昔の人々はモーセを英雄として使うために、書物を書き換えたということが本書では書かれています。

 かつての英雄としてのイメージとして、彼らは幼いころに両親に捨てられ、別の大人に拾われて、そこで育てられます。そして、大人になった彼らは実の両親と再会します。再開したばかりのころは両親と対立関係にあるのですが、徐々に両親から彼らは認められていきます。そして、その両親は実はとても裕福な人たちであり、とても強い権力を持っているとわかります。そして彼らはその跡を継ぎ、英雄として大衆に認められることとなります。

 このようなイメージにモーセを当てはめるため、古い書物の中では、彼が幼いころに捨てられ、エジプトの人物に拾われると書かれています。

精神分析のアナロジー

 アナロジーという言葉は聞きなれないかもしれないので、一応定義を載せておきます。

  • (るいすい)または類比(るいひ)、アナロジー(Analogy)とは、特定の事物に基づく情報を、他の特定の事物へ、それらの間の何らかの類似に基づいて適用する認知過程である。古代ギリシャ語で

 

 フロイトは、精神分析という分野を開拓したことで有名です。彼はモーセユダヤ教の関係について、精神分析を用いて説明をしています。

 まず、私たちは父親という攻撃的で、厳しい存在に恐怖を感じる存在であると書かれています。その恐怖を克服服するため、母親を頼ってなんとかその恐怖を抑圧します。しかし、私たちが思春期頃になると、その父親に抵抗を見せ始めます。反抗期などをイメージするとわかりやすいかもしれません。そして、そのような攻撃的で、厳しい父親には自分はなりたくない!というように父親を反面教師にするようにして、成長していきます。しかし、大人になったある地点で、突然私たちは、その父親と同様の行動や性格を持ち始めてしまいます。フロイトはこれを潜伏呼びます。

 このような精神分析で考えられる過程をモーセユダヤ教の歴史に当てはめて、理解を深めようとします。まず、モーセはエジプトから脱出するのですが、そのときにある程度のエジプトの民衆を引き連れて、別の地へと脱出します。もともとエジプトにはユダヤ教に似た宗教が存在したのですが、モーセは脱出後、ユダヤ教というエジプトの時よりも戒律の厳しいユダヤ教を作ります。

 ユダヤ教を作ったはいいものの、当然いきなり新しい宗教が作られても、民衆はそれに抵抗します。その結果として、モーセは殺されてしまいます。この過程が、モーセ精神分析の過程でいう、父親として、民衆が子供としての立ち位置として説明されます。

 そしてその後、少し複雑なので詳細は省きますが、民衆が長い時を経て、モーセの作ったユダヤ教を進行するようになっていきます。これが先ほどの潜伏に当たります。もともとはユダヤ教に抵抗していたのに、歴史のある時点で、ユダヤ教を信仰するようになっていくというものです。

 

父親としてのモーセ

 はじめは、ユダヤ教に反抗した人々に殺されてしまったモーセですが、長い時を経てユダヤ教が進行されていくと、人々にモーセは父親として扱われ、そのために歴史的な書物が改変されてしまいます。そのために私たちが、ユダヤ教についての確かな知識を得ることが難しくなっています。

 これはユダヤ教に関してだけでなく、ほかの宗教に関しても言うことが得きることです。しかし、ほかの宗教でも、書物が改変され、確かな情報が手に入らないという問題を抱えています。

 

まとめ

 さて、どうでしたでしょうか。この本は内容が難しく、私もこの本をまとめるのに非常に手間取りました。この文章では、かなり本の内容を簡略化して書いているので、論理的に少し欠陥がある場所があると思いますが、その詳しい説明は本の中に書いてあるので、ぜひ興味を持った方は、本書を手に取ってみてはいかがでしょうか。